狼煙が上がる

全部昔からだ。何も変わってはいない。

小学校の時、祖母譲りの日本人離れした彫りの深い顔立ちのせいで(きっとそれだけではなかったんだろうが、もう今となっては知らない)、底の浅い悪口を言われまくった。何かあったらやり返したし、大きいトラブルがあったこともなかったけれど、俺の人見知りはここで産まれたのだと思う。

「…………」

だから、今こうして人間が四人集まっている中で押し黙っているのは、俺にとっては当たり前というべきか、普通のことだった。
俺と三人は今、見慣れない休憩室のような空間に置かれた見慣れないテーブルを囲って座り、顔を合わせている。俺の左横にいる、随分と背のデカイやつは、ぱちぱちと目を瞬かせている。正面にいる奴は困ったように眉を下げていて、残りの一人は辺りの観察をするように首を動かしていた。傍に置かれた学生に優しい料金の自販機が、ヴーンと機械音を上げて、俺達に間を持たせている。全員見事に初対面だ。正直気まずい。

「ねえねえ、それで司会進行は誰にする?」

そんな時、唐突に落とされた声は、可愛らしくも能天気だった。周りを見渡し終わったらしい横の一人が、小首を傾げている。あどけない顔に小さな口、大きなつり目、ショートボブに切りそろえられた髪。所謂萌袖のセーターがよく似合う少女だった。それでも、やれやれと息を吐く様子はどこかドライに見える。

「ぼくはそういうのやだから、誰かやってくれませんかねー」
「誰もやらないなら俺がやろっか」

左隣にいるデカイ奴が口を開いた。キラキラと輝く純粋な目をしている。ふわふわの青い髪と、にこやかな笑みは春風のように爽やかだった。正面にいる奴はまだ何も言わずにオロオロしている。何も言ってないのは俺も一緒だけど。

「えーと、じゃあ名前と、出身地と、好きな食べ物を言う!」
「小学生の授業かよ」

あ、思わず呆れてツッコんじまった。まあいいか。デカイ奴はへへ、とはにかみ笑っている。見た目と違って、随分と子どもっぽい奴なようだった。右隣の少女はうんうんと頷いている。

「良いだろ小学生!で、俺は隼総天翔(はやぶさてんと)!ちっちゃい頃からテントテントって呼ばれてた。出身は横浜でー好きな食べ物は……寿司も良いけど蕎麦、ってくらいでそっちよろしく」

隼総がぴっと指を指した先には、先程のかわいらしい少女がいた。ぼくね!と一息ついて、にこにこ笑う。

「ぼくは流麗歌雨(ながれうたう)。うたうだよ。名は体を表すって言うけど、かわいい名前でしょ?」
「確かに間違ってはないよな」

おい、それで良いのか隼総。……と内心言ってもしょうがないので、黙っておく。俺からはノーコメント。正面のやつはすごく分かりにくかったけど、僅かに頷いていた。

「ぼくは静岡の方の生まれなんだけど、お父さんの仕事でこっちに引っ越してきてね。だから実家暮らし。好きな食べ物は渋柿。もちろんケーキとかプリンも大歓迎だからね!ちなみに蕎麦よりうどん派です!と、撫子はいける?」

なでしことは何かと思ったが、流麗が呼びかけている方向を見るに、どうやら俺の正面に座っている少女のことだったようだ。少女と言っても、流麗よりは体が大きい。俺とそんなに身長が変わらないくらい。染めてあるのか、髪は金髪だが少し茶色っぽくもある。髪は結びもせずに背中のあたりまで全て下ろしてあった。クリーム色のカーディガンが髪に隠れている。
ふと、その撫子と目が合う。左目の下にある泣きぼくろがよく見えた。顔が強ばっているが、強面でもないので怖くはない。どちらかと言えば怯えている。

「たんま。全員初対面っぽかったのに、流麗はこいつと知り合いだったのか?」

俺がストップをかけて、流麗に視線を移す。流麗はけろっとした顔で横に首を振った。

「違う違う、たまたま。ちょうどぼくとこの子が隣でチーム分けを見てて、同じところで目を止めてたから声を掛けたってこと。名前だけ教えてもらったんだよ」
「へーすっげー、運命の出会いだ」

隼総が純粋に目を輝かせている。本当子どもみたいだ。そういえば、何歳か聞いてない。それは後で聞くとして、もう一度当の本人に目を移した。

「……か、上地撫子(かみじなでしこ)です。出身は、沖縄で……。でも、ちょっと前に、東京に来て、それで暮らしてて、だから今は違って。好きな食べ物は、あ、お蕎麦も好きだし、角煮とかも好きかな。でも、甘い物も好きで……ど、どうしよう」
「良いんじゃない?全部好きで」

散々オロオロしている上地に、流麗は冷静に返す。出会って数十分で、既に上地を扱う心得を身に付けているような気がする。結論が出せてほっとしたところで、全員の視線がこっちに移った。俺はまあ、普通に口を開く。

「狼煙紅輔(のろしこうすけ)。出身は北海道で、こっちの寮に住む。好きな食べ物は割と何でもいけるけど、辛いモンよりは甘い物。それで、自己紹介終わったけどどうするんだ?」
「チーム名とリーダー決めるんだろ。リーダーは俺がやる!ってやついる?」

隼総が手を挙げて促すものの、俺を含めた三人は誰も挙げようとはしていない。隼総がまた、女子受けの良さそうな顔に、人の良い笑顔を浮かべた。

「じゃあ、俺!リーダーは決定!チーム名ってリーダーの名前から取ることが多いんだっけ?」
「それならチームハヤブサかチームテントになるね。ぼくは天翔の名前ならどっちもしっくり来るから異論はないよ」
「へへー、俺の名前も結構かっこいいだろ」

いつの間にか、流麗の手にはちゃっかり缶ジュースが収まっている。おそらく俺達が座る前に、傍にあった自販機で買ったのだろう。ラベルは渋い茶色をしており、白字で本格派珈琲と書かれていた。顔の割にどうも渋い趣味をしている。
隼総はでれでれしていたが、おもむろに人差し指を立て、頭上に掲げると不敵に微笑んだ。

「ハヤブサのハントって知ってるか?ひゅーんって飛び上がった状態から一気に急降下して、獲物を取るんだ。最速で最強にかっこよくて……」

急降下した隼総の左手の指は、下にあった右手の指をついばんでいる。がぶがぶと口で音を再現して噛ませていたが、隼総はふと顔を上げ、俺達を見渡した。瞳の奥に佇む刃が光る。

「それと一緒で、全部取ってやりたいよな」

ぞく、と。背中に寒気に似た痺れが走るのを感じた。
口調も態度も、今までのものと全く変わりはない。変わったのは――目だ。先程まで幼く輝いていたはずの瞳は、鋭過ぎる向上心のような、敵対心のような、下手したら殺気まがいの色がある。皮膚に刺さって、チリ、と燻られた心地すらあった。立っていたなら腰が引けていたような凄み。
「誰にも負けない」と語るだけには、あまりにも大きすぎる。

(……。面白いじゃねえか)

腹の底からふつふつと湧き上がる。これが恐怖なのか、それとも興奮なのか、今の俺には判別が付かなかった。
「全部取る」という言葉が、強さのてっぺんを意味しているのか、魔物を全部倒すということかも、分かってはいない。分かるのは、隼総は得体の知れない何かを秘めているということだ。デカくてでれでれしているだけじゃない何かがある。

「良いぜ。全部取ってやろう」

俺が思わずテーブルへ身を乗り出すと、隼総は元の、無邪気で爽やかな笑顔に戻った。今の一瞬はもしかしたら無意識だったのかもしれない。……それなら、もっと怖い。
俺はひょっとしたら、ものすげえ奴とチームを組んじまったのかも。

「だな!ってことで、俺はチームハヤブサにしようと思ってるんだけど、どうだ?」
「ぼくは最初から賛成だったし良いよー」

ひらひらと手を振って、流麗は賛成を示している。缶コーヒーの残りを覗きながらの辺り、そこまで興味のある話題ではないらしい。上地がそれを聞いて、流麗から慌てて隼総を見た。

「私も、ハヤブサって強くてかっこいいと思うし、あと、天翔くんもかっこいいと思うし、良いなあって思う」
「紅輔は?」
「さっき乗ったから訊く必要もないだろ?ってか、お前ら全員もう名前で呼んでるんだな」

何気なく言った俺の言葉に、隼総も流麗も上地も、きょとんとした顔になった。いや、おい、俺がおかしいのか?最初名字から始まるとかじゃねえの?

「紅輔ってそんなの気にしてるの?意外と小姑の如く細かい性格なんですねー」
「いやそういう訳でもないだろ!俺以外全員だから気になるんだって!」
「みんなの話よく聞いてて、すごいね紅輔くん」
「上地多分今言うのはそういうことじゃないと思う!」
「ま、綺麗にオチも付いたところで」
「付いてねえっ!!」

俺の全力の大声がビリビリと辺りに響いていた。ちょっと向こうの方で座ってる奴らが振り返った気がする。なあ、普通に恥ずいんだけど。あとすっげえ疲れた。
冗談、とケラケラ笑っている隼総とニヤニヤしている流麗はともかく、不思議そうにしている上地が危ない。コイツに関してはおそらくガチな方だ。これは、こうなったら、俺の方が腹をくくるしかないらしい。名前呼ぶ度にいじられたらたまったもんじゃねえわ。

「俺も名前で呼ぶしかないだろこんなの!はー、しょうもな……」
「面白かったから問題なし!それに俺しょうもないこと大好きっ」
「けどさ、先生の言いつけとしては大成功じゃん」
「え?」

俺も、隼総改め天翔も、上地改め撫子も、流麗改め歌雨の方を振り向く。注目を浴びるだけ浴びてから、歌雨は慣れていそうなウインクをぱちりと決めた。

「チーム名を決める、リーダーを決める、親交を深める、全部出来たみたいだよ。ぼく達、良いチームになれる気がする」
「っ、うん!私も。私も、同じこと思った」
「俺も俺も」

分かる分かる、といった様子で、天翔と撫子はうんうんと何度も頷いている。撫子は正直、さっきから頷いたりオロオロしたりし過ぎて首が取れないのかと思うんだけどな。

「どう足掻いてもこのチームでやってくんだ。良いことには変わりねえよな」
「紅輔って言い方イマイチ悪いよねー奥さん」
「ねー旦那さん」
「おい」

目の前で堂々とヒソヒソ喋られると困る。いや、堂々な時点でヒソヒソも何もあったもんじゃないけどな。と、正面にいる撫子と目が合った。さっきの「良いチーム」な雰囲気のせいか、出会い頭よりは随分と表情が解れている。
何を思ったのか、にこ、と笑いかけてきた。いかんせん他のやつと違ってあまり喋らないせいで、どういうことなのかはよく分からない。あと天翔と歌雨が気になってそれどころじゃない。……きけるような雰囲気じゃないし。いつか、聞ける時が来るんだろうか。

そんなことをぼんやりと思っているうちに、自由時間は終わりを告げた。まさか初日から大声を出すことになるとは思わなかった。俺、結構人見知りなはずなんだけどな。天翔と歌雨のペースにすっかり飲み込まれてたんだろうか。楽しい奴らだから良いけどもちょっと悔しい。

「じゃあぼくと天翔はこっち方向だから」
「また明日なー!」

その「楽しい奴ら」は二人とも実家暮らしらしく、校門で別れることになった。天翔は少し歩いて振り返ってもまだ手を振ってたから、歌雨に首根っこ引きずられて(身長差三十センチはあるんだが)、夕日の向こうに消えていった。
背中に当たる夕日が熱い。足元からぐんぐんと影が伸びている。目の前に黒い俺が横たわっている。隣には撫子の形をした黒いやつが同じように横たわっていた。

会話がない。きっと天翔と歌雨は適当に盛り上がっているんだろう。俺と撫子はどちらかと言えば喋らない方だったから。
何となく歩いていると疑問が頭に浮かんで、撫子へと目を向けた。俯いて歩いている。

「撫子」
「は、はい」
「……敬語はいらないから」

どうも撫子は俺としゃべる時、ぎこちないような気がする。さっきは笑ってたけど、二人きりになった途端に。思い切ってその辺りを聞くことにする。

「気のせいなら、それで良いんだけど……最初に会ったときと言い今と言い、何か緊張してねえ?」
「え」

ぎくりと撫子の方が上下して、目が泳ぎ出す。えっとね、と小さく言っているのが何度も聞こえる。染まった金髪が眩しい。

「……その……紅輔くんの目が……」
「目?」

俺の目は祖母譲りのアイスブルーをしている。日本人からしたら、確かに珍しいかもしれない。その割には日本人らしい丸顔だから、変にアンバランスなんだけど。

「ちょっと怖くて……」
「は?」

声が低くなったせいで撫子の身体がわかり易く震え始めた。俺と身長変わらないのに見下ろしている気分になる。

「ひゅ、ち、違うの。誤解かもしれないんだけど、向こうの紅輔くんが、じっと見てくるから、私、どうすれば良いか分からなくなっちゃって、それで何か喋ろうとはしたんだけど思いつかなくて」
「(ひゅ?)俺がそんなに怖かったってことか」
「ちが……!ほ、本当に違うんだよ!あ、ううん、違うこともないけれど、あのね、怖いのは怖いんだけど優しい怖さみたいな感じで本当は怖くなくて」

話しているうちに明らかに撫子の目が渦を描いてきている。言っていることも何だかよく分からなくなってきたので、パンクしないうちにストップを掛けておくことにする。

「あー、分かった。キミの言いたいことはよく分かりました。……つうか、急によく喋ったな?お前」
「……でも、あのね、私……話すのすごく苦手なの」

ああ、そんな感じがする。とは一応言わないでおくことにしよう。

「言いたいこととか、全然まとまらなくて。だからみんな、すごいなって……。そう思ったら、何も言えなかったよ」
「……それはそうかもしれないけどよ」

真剣味を帯びた俺の声に、撫子が顔を上げる。
何も言えないのは、仕方がない。すごいかどうかは、俺は、よく分からないし、考えたこともない。隣の撫子は昨日までは赤の他人だったんだから、どういう奴なのかも分かんねえし。つうか分かんねえわ。当然。だからこそ。

「お前はもうチームハヤブサの一員だろ。メンバーの声は、みんな聞きたいもんじゃねえの?」
「…………。メンバーの……?」

撫子ははっとして、困惑しているような、驚いたような顔をしている。こういう時、なんて言ってやれば良いのかてんで分からない。中学の時とか、女子と全然喋んなかったし……。
また撫子が俯く前に、思い切って口を出す。

「あー、何なら、他の二人にも言いづらいことなら、先に俺が聞いてやるよ。とにかく、ダンマリはやめろ。言えばちゃんと聞くから」
「そう、なの?でも、私の意見とか、言葉って……何も、ならないもの……」
「いや、それは」

ない。と言いたかったけれど、そこから何をどう言ったら良いか分からず、閉口するしかない。撫子は前を歩く自分の影をじっと見るばかりだった。
再び、気まずくなる。これが今から毎日続くのか……。どうやって話しかけたら良いんだろう。分かりかねている。
天翔や歌雨だったら、もっとなんとかなってたんだろうか?……だとしたら、このままで終われる訳がない。あいつらにどうにか出来るなら、俺にだってどうにか出来るはずだ。
寮に着いた直後、男子寮と女子寮に別れる前。撫子が俺を見る。落胆の色を浮かべているのかと思いきや、拳を胸の前で握り締めて、訴えかけるような目をしている。

「紅輔くん」

えっとね、と言葉を探していることがよく分かる。俺は待ってみた。寮の部屋でもないところで立ち止まってて、周りから変に思われてそうだけど。

「あ……じゃ、なくて。また、明日ね」
「あ?ああ。また、明日」

釣られて言葉がぎこちなくなった。どうやらそれだけ言いたかったようだ。撫子は満足そうに微笑んで背を向けようとする。流石にこれで終わりじゃ、何か嫌だ。俺が廃る。

「撫子。明日から、一緒に頑張ろうぜ」

撫子は弾かれたように俺を振り返った。どうしてか分からないけれど、ほけっと口を開けて、頬が赤くなっている。そうしてぶんぶんと首を頷かせた。……首取れないか、大丈夫か。

「い、一緒に、がんばるね。なでしこ、いっぱい頑張って、みんなで頑張りたいもの」
「おう、良いこと言うじゃん!俺もそう思う。チームハヤブサはすげえ奴らだって、学院中に知らしめてやろうぜ!」
「うんっ」
「じゃあな!」

撫子が笑顔で頷くのを見てから、俺はすぐさま自分の部屋に向かった。急ぐ必要はまったく無かったんだけど、胸の高鳴りが早くて、勝手に体を急かしている。
始まったんだ、と実感する。学院の生活が。このバカデカい討伐団養成学院の中で、すげえ奴って言われる確率なんてたかが知れている。

けど、やるしかない。違うな、やってやる。だからこそ燃える。
何があっても諦めねえ。今決めた。

入った部屋の窓から外を睨んだ。夕日が街の向こうに沈みかけている。ただのちっぽけな一般人から這い上がってやるから、見ておけよ夕日。
机の上に置いた写真立てが目に入った。家族四人で撮った写真が入っている。俺もまだまだガキみたいな顔で笑ってた。……見ておけよ。もうこうなったら、帰った時に度肝を抜かせてやるんだからな!