昔昔あるところに

パチパチと暖炉で火が爆ぜている。少し前に武蔵が起こしたものだった。冬の時期は、火の能力はとても幸いする。年下の二人はすっかり自分の部屋で眠りについているだろう。薙が時間を確認すると、日付はとうに超えていた。リビングでお互いにコーヒーのコップを傾ける。

「こんな時間まで起きているなんて大丈夫なのか?」
「んー……何とかなるっしょ、明日座学だけだし、ちょーっと目閉じたくらいじゃバレないし?」

サングラスを指さしながらイタズラっぽく笑うと、薙は呆れた視線を向けた。居所を同じくして数年目になると、流石に言っても聞かないことは分かってるので、余計な口出しはしない。武蔵がカップを揺らして、コーヒーの表面に映る自分を見つめた。

「どーも落ち着かないっていうかねー……火が消えるところ見守ってねーと」
「武蔵は火の能力を持っている割に、火に敏感だな」
「いや能力とかの前に犬飼も人間だからね!?燃えるから俺!!タイプが同じイコール効かない法則はポケ○ンだけで充分だから!」
「……思い過ごしなら良い」
「…………」

武蔵は大きく息を吸って、大きな溜息をついた。サングラス越しの目が他所に逸れる。

「サングラスって素晴らしいモン手に入れる前は無差別にボーボー燃やしちゃってたんだから、ま、多少はね?」
「ふむ……」
「……ああああああ無理!!俺こういう空気無理!耐えらんねー!嫌よ!!私のために争わないで!!」

椅子から立ち上がって一人芝居を始めた武蔵に、薙の冷たい視線が飛んだ。

「座れ」
「あい」

大人しく座った武蔵は、空気の入れ替えを謀るように、一口コーヒーを飲んで肩を竦める。

「ホントは俺、ヒーローになる資格なんてないのかも~って思ってはいるんだけどね」
「……?」
「能力が主人公っぽくないじゃん?火なら火でさ~……拳に火をつけて火炎パンチ!みたいなチョーカッケーやつ、犬飼には出来ないもん。学院では見るけど……なんか今日の犬飼湿っぽい、ヤダ、季節外れの梅雨並に湿気酷い。ファブリーズする?」
「いらん、たまにはそんな日もあるだろう。それに、能力に主人公のようだも何もないとは俺は思うけどな」
「うーんー……」

武蔵は椅子にだらけたようにもたれながら、気力という気力をなくしつつコップを口につけた。先程より味がしない。

「少なくとも、小次郎にとってのヒーローはお前だ」
「それはね。それは自信あるよ流石に。むしろあれだけ尊敬されてて、え~っそんなことないですよぉ~って言ってたら自分の面殴り飛ばしてるよ犬飼」
「分かってるんじゃないか」
「でもそれとこれとは話が別ー!………………あぁ、やめようこの話、多分結論出ねーわ。薙はヒーローなれた?」
「俺には判別出来ない。チコが頷くならそうなんだろう」

冷静に、コーヒーを啜る音だけを返してきた薙の態度は、武蔵の期待とは違った。武蔵は不服そうに口を尖らせる。

「俺と小次郎も相当変わった経緯だとは思うけど、あんたと知子ちゃんも変わってんよね……全員独り身だし」
「俺はチコに恩を返しているだけだ」
「その俺ってやつも!やめても良いと思うんだけどね~?犬飼は」
「姉妹と兄妹、どちらが虫にたかられない?」
「……………………ウス、何もイエネーッス……」

見事に撃沈して、武蔵は机につっ伏した。壁に掛けられたデジタル時計が、時間の経過だけを知らせている。薙はゆるく首を傾けた。

「武蔵と小次郎は、捨て子だったか?」
「そー。おんなじ時に多分ほぼおんなじタイミングで田舎追い出されてんの。で、俺が小次郎拾った。名前も犬飼案」
「なるほど。同じ言い方をするならば、俺はチコに拾われた」

当然といった口調から染み出た違和感に、武蔵はしかめっ面で顔を上げた。

「……は?拾ったんじゃなくて?」
「そうだ。拾われる側だった。俺は昔、両親と家を魔物に襲われ失くし、野垂れ死にするところを、チコにここまで引きずってきてもらったらしい」
「えー……らしいってのは?予想は出来るけど」
「無論、記憶が無いからだ……死にかけで朦朧としていたのだろう。だが、更に謎なのはチコだ。物心ついた時からこの家にひとりで住んでいたと言うのだから」

少女ひとりが住むには、あまりにも大きく、生活感と現実味が少ない。武蔵は身体を起こして、ちらりと壁に目を向けた。リフォームでもされたかのように綺麗な家は、武蔵が来た時から、あまり変わりがない。好きに生活が出来る割には、皆あまり部屋に物を置かなかった。

「……人がいるってだけで満足なんかねー……」
「ん?」

ぽそりと呟いた独り言に、武蔵は首を横に振った。

「うんにゃ、なんも。てかさ、物心ついた時からひとりで住んでたってどうやって?飯とかは?」
「忘れたか?チコは植物に身体を変化させられる。生まれつき能力が目覚めていたならば、水と日光さえあれば生きることは可能だ」
「はーん、なるなる……」
「俺はチコに助けられてから、表面上は男として生活を始めた。男の方が何かと得をする。男に別段拘りはない、知らない人間の目を誤魔化せるくらいで充分だ」

言い切ってから、薙は温くなってきたコーヒーを煽るように飲んだ。男らしく上下する喉に、武蔵は間の抜けた相槌を打つ。

「女の子らしく生きたってバチ当たんねー気がすんだけど」

同情にも聞こえるそれに、薙は小さな微笑みを返した。

「忘れた。男になる前にどう我が道を生きていたか、どういう顔で生活していたか……今のやり方以外、もう俺は思い付かない」
「マジ?」
「大まじだ。話は終わりだ、寝るぞ、火も消えかかっている。寝坊してチコにのしかかられても俺は助けない、そのつもりでな」
「はぁーい。いや、しかし頭の良い話したべな……犬飼頭パンクしそうー」

カラになったコーヒーカップを洗い、片付けた時には、火はすっかり燃えきっていた。いらなくなった新聞紙や道端に落ちていたゴミらは、臭いすらも火の中に閉じ込められて、暖炉の底で灰となって燻っていた。