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気を取り直して、紫魔は生吉が待っている公園の中央まで歩くと、仮面越しに目の前に立つ身体を観察し始めた。
巌徳に見慣れてしまうと細く見えるが、足腰はしっかり引き締まっている。何より構えもせずにナイフをちらつかせるだけの体制は、次にどう打ってくるかの予想が出来ない。

「ん、うん、じゃあ、二人とも頑張ってね。あ、言い忘れてた。生吉、今日は銃は使わないこと。じゃあ試合開始!」
「エェ~~~~!センセェ~ひっでェ~~~」

掛け声があってもぶーぶーと頬を膨らます生吉に、紫魔は遠慮なく走り出した。持ち手を強く握ると素早く前へ突き出す。すると切っ先が届く直前、ザ、と小さな土煙が上がると同時に、目の前から影が消えた。

(来るか)

紫魔は飛び上がったと思い上を見上げるが、眩しくぎらつく太陽しか見えない。

「ンーンーー」

歌うような声と共に背後から風を切る音がした。紫魔は踵を返すと、既に高く上がったナイフをガードしようと腕を伸ばす。しかし直後、横腹に鈍い衝撃が走った。

「グッ!……く」

距離を開けようと飛び退くも、バネのような跳躍で生吉は間を詰める。今度は素直にナイフが突き出され、槍の持ち手でそれを止めた。上へと弾き返し、生吉の身体が後ろへと逸れる。無防備な腹へ突きをしようとした刹那、紫魔の目前を細いナイフが振り上げられ遮った。髪が僅かに切られる。

「ン~~次ど~しよォなァ~」

伸び上がって後転し、着地した生吉の靴の先には、からくりのように飛び出しナイフが仕込まれていた。トントンとつま先を地面につつくと引っ込む。頬を掻く生吉を、紫魔は注意深く観察する。次の動作の挙動が見えない。

(巌徳さんが言っていたのは、こういう事か……)

体操選手のような柔軟性を生かした、完全な暗殺戦法。加えて本人の性格と気質から、次の一手がまったく読めない。風の心を読むように、常識は通用しない。

(振り上げた腕を下ろさず蹴りを出したり、反り返った状態から体制を整えず攻撃に転じて来たり……トリッキーな攻撃だな)

紫魔は静かに息を吸うと、視界に生吉を捉え、攻撃の構えをするとゆっくりと目を閉じた。じっと石像のように動かない紫魔に、生吉は首を傾げる。

「ンァ~?動かねェなら行くぜェ~」

生吉は両手の指の間に数本のナイフを挟むと、紫魔に向かって片手のぶんを投げる。同時に走り出して第二波を放つと、腰を低くして足元に潜り込んだ。紫魔はナイフを槍で弾いたりたたき落とすと、神経を尖らせる。顎の下に振り上げられた腕を掴み、槍を放ると肩を掴んで生吉の腕を背に回し、地面に押さえつけた。むぎゅう、と生吉から情けない声が出る。

「どうだ。……降参するか?」

紫魔は目を開くと腕を引く力を強め、関節技をかける。ギリギリと引くと、生吉の表情が歪んだ。

「ンォウぅん、ァ~~それイイィ~~」
「は」
「スッゲー気持ちいィ~~~」

――愉悦に。
紫魔は背筋に凍るものを感じながら、生吉をそっと解放した。喜ばせてしまっては戦闘でも何でもない。生吉は砂を払いながら立ち上がり、不満そうに口を尖らせる。

「もうやんね~のォ?つまんねェ~~」
「やらねえよ」

紫魔は放った槍を拾い上げ、どうにか寒気を収めた。ちらと巌徳の方を見るが、ベンチに座りながらにこにこと笑っている。勝負は付いていないらしい。

(こいつの攻撃を完全に攻略しないと勝利じゃないか……さっきのは離さなくても向こうに逃げられていたって予想をされていたらしいな)

もう一度、と目を瞑ろうとしたら、紫魔の頬を何かが横切った。過ぎた音は重みがあり、ナイフなどでは比べ物にならない重量を感じる。目を開くと、生吉は黒い鉄球を手に持っていた。ポンポンと放っているが、手に収めた時の音が鈍い。

「チェ、当たんなかったァ~。もっかいもっかい」

生吉は既に投球フォームに入っており、紫魔は避けようと横に走り出す。生吉は思い切り振りかぶって投げ――る前に、踏み出した足で紫魔の方へと飛び出した。跳躍しながら紫魔が行く先を見据えて投げる。

「なっ――!」

紫魔は咄嗟に足を止め、ブレーキをかけた。目の前に彗星のように鉄球が落ち、地面にめり込んでいる。当たっていたら頭蓋骨が砕けていたであろうそれに、流石に危機を感じざるを得ない。

(こいつ、能力を使わずにここまで強いのか)

次に紫魔の唇に浮かんだのは、震えでも恐れでもなく、不敵な笑みだった。久しぶりの興奮を抑えることもなく、ふてぶてしくニヤリと笑う。

(面白い……久しぶりに味わせてもらうぜ、シゲキをよ)

生吉は何故か次の投球をせず、ぼんやりと公園の外を見ている。紫魔はその様子を伺いながら、脳内で考えを巡らせた。

(あいつがいつ攻撃して来るかは読めないが、こっちから行ったら確実にカウンターを食らう。あいつはある意味隙はまったくない……カウンターを狙うしかないにしろ、遠距離と近距離どっちが来るかすら予想がつかない……。せめて遠距離に、あいつが見たことがないようなカウンターが出来れば……)

ふ、と、紫魔の頭に巌徳の言葉がひらめいた。
自分を「成長」するチャンス。更なる高みへ、天国へ登るためへの。やるならば今だと、紫魔の直感が告げていた。左肩からないはずの熱を感じる。

(俺の能力……俺の力を、『弱くする』……!)

紫魔の右手が動いた時、ぼんやりしていた生吉も動き始めた。再び土煙を巻き上げて消える。紫魔は後ろを振り向くが、緑色の影は見えない。首筋にヒヤリとしたものを感じ、紫魔は振り向かせた首を元に戻す。すぐ目の前に黒い塊が迫っていた。紫魔は顔の前に手のひらをかざす。

「分散し――弱くする!!」

パン!と空気が弾け、キュルキュルと鉄が回転しながらぶつかるような音が紫魔の目前に留まっている。紫魔は手をかざしたまま距離を取った。回転を続けている金槌は、数秒経ってもその場から動かずに固定されている。

「ンァア~~?なんだァこれェ?」

飛び上がっていた生吉は、着地してからも尚紫魔に届いていない金槌に首を捻る。紫魔は口端を吊り上げると、かざした手を横へと素早く振りかざした。

「こいつは……返すぜ、お前に!」

再び耳を塞ぐような大きい破裂音が鳴ると、向かっていた金槌は勢いよく生吉に向かって飛んでいく。生吉は肩を跳ねさせた。

「あっぶゥ~~ねェ~っ!!」

横へ飛び込むようにして躱すと、間抜けな溜息と共に、飛んで行った金槌を見つめる。大樹にぶち当たった塊をほえーっと見ている間に、生吉の首元に冷たい切っ先が当たった。

「予測は出来ないが、策は立てやすい。……それがお前の弱点だ」

三叉槍を首元に突き出しながら、紫魔は冷ややかに告げた。巌徳が座っていたベンチから立ち上がり、ぱちぱちと拍手をする。

「はーいそこまでー!紫魔くんの勝ち~」
「エェ~~!?」
「そのまま刺されなくて良かったね生吉、きっと死んでたよ?」
「ンァ~、なら負けだぜェ~」

生吉はころりと負けを認め、ナイフを収めた。紫魔は深く息を吐くと、槍を退かして巌徳が座っている横に座る。仮面を取ると、生吉は近くの茂みにダイブした。

「や、生吉が三回、紫魔くんが二回止めを刺せるまで迫れたら止めようって思っていたんだ。そしたら生吉が一度も追い詰められなかったし、紫魔くんは一回目すぐに離してくれたし助かったよ」
「……いえ、あれは……喜ばせてしまっては戦闘にならないかと思いました」
「ぷ……っあっはっは!なるほど!うん、んー、なるほど一理あるね!」

巌徳は大声で笑いながら、胸の前で広げていた手のひらを握りつぶすように拳を作った。笑い声が落ち着いてから、巌徳は紫魔へ身を乗り出す。

「それで紫魔くん、金槌を跳ね返したあれは何かな?まあまあ、予想は何となくついているんだけど」
「おそらくはその予想で合っていると思います。俺の能力は真空の膜を作ることです……が、今回はその力を広範囲に分散させ、空気がごく薄い膜を張りました。結果、周りの空気を巻き込み、あの場に薄く爆発的な気流が発生し、金槌はその薄い気流の中を回転しているため、その場に留まらせられた。そしてその回転を逆にして、勢いをそのままに跳ね返したという原理です」

紫魔の淡々とした説明に、巌徳はうんうんと納得して頷くと、眉を下げて微笑む。

「やー……いや、さっきのボクの言葉をまさかまさか、早速実践するなんて思わなかったよ。しかもあんな土壇場で。智昭がキミを欲しがった理由が分かる気がするなあ」
「祖父が……ですか」

紫魔は、先程暴風の壁を張った右手を眺めた。広範囲に渡る今回の能力は、力を分散しているおかげで、ある程度離れた場所まで届く。手を伸ばした先に届かなかった風の刃も、おそらくは。

(……俺が、この力をもっと早く知っていたなら……あの時……)

目を閉じれば、すぐにでも思い出すことが出来る。後ろへと倒れていく白い身体と、溢れ出す赤い血の色。頭の中に描くだけで心臓の鼓動がぎこちない。あの時の嫌な高鳴りが表現される。それほど、あの一瞬は紫魔の頭にこびり付いて離れなかった。穏やかな微笑みが苦痛へと変わる、運命の時。
生まれて初めての「恐怖」を味わったあの瞬間。前は守ることしか出来なかったが、今ならば、あの風の刃を跳ね返すことも出来る。

「紫魔くん」

紫魔は我に返り、顔を上げる。物思いにふけっていたらしく、巌徳は優しく笑いながら、小さく首を傾げた。

「何か悩むことでもあった?」
「いえ。……いえ、あるにはありますが、過去のことです。ただ、繰り返したくない過去を、思い出していました……。もう二度と、俺のいる前で、倒れさせる訳にはいかないと」

紫魔の瞳が決意に満たされ、く、と細まった。巌徳はその夕日色の目を見て、そっと口を開いた。

「ボクはキミの力も見たし、そろそろ帰るよ。最後に聞かせてくれないかな。キミと聖璃くんのことについて、もう少し詳しく」
「…………」

紫魔はそれを聞き、しばらく俯いていた。ぎらついていた日差しが和らぎ、穏やかな風が二人の耳に涼しい言葉を囁いた。木の枝にはスズメが止まっている。
次に紫魔が巌徳に向き直った時、紫魔の表情はとても静かだった。二人の間に流れる沈黙よりも。それでいて、今までの何より情熱的だった。

「あいつは……天道聖璃は、俺に名前と心をくれました。それがすべてです。長い年月と感情をかけて……聖璃は俺を人間にしました。しかし聖璃は守るべきものでも、大切にするべきものでもありません。……それを誰より望まないのが、聖璃だからです。けれど……あいつが俺を守ると言うなら、俺はあいつを守ります。それは、俺が決めた運命だから……」

紫魔は小さく息を吸った。肩を並べて歩く自分の半身は、これから先何があっても、紫魔の味方でいるだろうし、心を分け与え続ける。しかし紫魔は、聖璃より僅かに先を行ったまま、大切な何かを返さずに終わるのだろう。誰が何と言おうと、言われようと――それが聖璃の願いなのだから。

「聖璃は、俺の帰る場所です」

紫魔がそう言い切った時、巌徳の表情が憂いを帯びた。小さくぽつりと呟く。

「帰る場所、か……。智昭も、帰る場所があればキミのようになれたかもしれないね。……さあてさて、帰ろうか!ボクと生吉は車で帰るけどどうする?」
「俺は徒歩で帰ります。今日はありがとうございました」
「や、いやいや、それはこっちの台詞だよ。今日だけとは言わず、また遊びに来るね。あ、そうだ紫魔くん、ケータイの番号教えて?何かあったら連絡しなよ。もちろん何もなくても良いよ!」
「あ……はあ、分かりました」

ベンチから立ち上がり、電話番号とメールアドレスを交換したところで、紫魔は仮面を返し、巌徳と別れた。生吉は巌徳の影に隠れたまま、結局紫魔の顔に慣れることはなかった。
紫魔はのんびりと歩いて帰路につく。歩いている間、自分が歩いてきた道を、ひとつひとつ思い返していた。シャボン玉のように浮かんでは消える儚い記憶を、何度も繰り返しながら。
そうすると、「運命」という言葉を、紫魔は信じたくなる。運命の中で、奇跡を選ぶ。掴み取った結果が今であり、それに反省はすれど、後悔はなかった。
僅かにでもその後悔の影があるならば、きっと紫魔がよく知る彼は首を横に振って否定をするのだろう。――そう思う。だから、紫魔は決して後悔しない。
決意を胸に己の手で切り開く運命の道を、彼が教えてくれたから。例えそれが、神であろうと天使であろうと、赦されざる悪魔であろうと。

紫魔は寮へ戻り、自室へと向かった。部屋の扉は何も言わず、紫魔がドアノブを捻るのを静かに待っていた。紫魔はいつも通りに扉を開ける。椅子に座って本を開いていた背中が振り向いた。

「おかえり」

数え切れないほど――紫魔に向けられた微笑みだった。紫魔の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
天道紫魔をつくった彼と、上も下も、右も左もない、ただ、これから先も長く永く、対等であり続けるために。
天道紫魔(ほんごうたける)は言葉を返す。生きる術は教わっても、十三年前まで一度も聞かなかった言葉を。





「…………ただいま」





    story end.