03

初日を終え、こくこくと時が過ぎる。気が付けば、チームハヤブサは出会って数日が経とうとしていた。メンバーの仲だとかもろもろは、現状維持。まだまだ慣れてないヒヨッコだ。
数日の感想は、座学がキツイ。勉強苦手で魔物のこと全然知らなかった俺に、こんなに覚えさせるようなもんじゃない。頭痛くなってたら周りがサポートしてくれるから良いけども。

「あっちー!今日って四月だよな!?」
「急に八月になったらそれはそれで面白そうだけどねー。ぼく朝カレンダーめくってきたけど、残念ながら四月でした」
「うあ~~マジかよぉ」

学院の中ならまだしも、グラウンドに出てる時の暑さは確かに半端ない。天翔が騒いでるのも、無理はなかった。真上から照りつける太陽と、じりじり暖められた地面の板挟み。七月だと言われても身体はすんなり納得するだろう。立っているだけで汗が出ている。授業が五十分でまだ助かった。
さて俺達はと言うと、とうとう授業の中でも実践系の項目に手を出していた。初めてのそれは体力作り。内容は、グラウンド十周と筋肉トレーニングのメニューをこなすというもの。今はそれに向けての柔軟をしていた。各自で行うように指示されていたけれど、俺達は当たり前のように集まって固まっている。ぐでぐで言いながらも天翔はしっかりと足を伸ばしているし、歌雨と撫子と俺も、筋肉痛にならないように気を付けてやっている。

「なあ!見て見て!」

柔軟の終わり際、天翔が弾んだ声を上げるので、そちらを振り向く。直立で気を付けをしていて、しかもものすごい笑顔だから、シュールにも程がある。

「この度はっ誠にっ全力ですみませんでしたー!」

長身の頭が勢いよくぐんと下がる。天翔の頭のてっぺんが見える辺りで止められるだろうと思ったそのお辞儀は、予想を遙かに超えて、天翔の背が見えるくらいまで深く下げられた。ジャージの背に引かれたラインが見える。百八十度、あの長躯が、綺麗に二つに折りたたまれていた。そんな新種の珍獣を目の当たりにして、勝手に口が開く。

「おま…………人間か?」
「へへっ、良いだろこれ。ほら、ほらな」

両手を伸ばすと、べたりと手のひらが地面に引っ付いている。撫子とストレッチをしていた歌雨が、身長が半分になった天翔へ近寄る。

「ぼくも、そんな真っ二つには出来ないけど地面にはつくよ。よいしょー」

歌雨も手のひらを地面にぴったりとくっつける。確かにあの気持ち悪いくらいの折り曲がりはなかったけれど、それでも身体が柔らかいことには変わりない。身体を解し終わった撫子が俺の傍に近寄ってきた。

「こ……紅輔、くん」
「ん?」

撫子は俺の耳に顔を寄せ、そっと耳打ちをする。

「あのね、その、一個思ったんだけど。天翔くんと、歌雨ちゃんは……骨が柔らかいの?」

ぶは、と思わず噴き出し笑うと、撫子は途端におろおろした。俺は腹を抱えて笑う。天翔と歌雨は一斉に身体を起こして、俺と大混乱中の撫子を不思議そうに見ている。

「そ、その発想、ヤバイなっ……。ふ、くく、撫子撫子、それ身体が柔らかいの間違いだろ」
「あ、うっうん、あの、多分、そういうこと……?」
「いや、どっちだよ」
「なになに、どういう話?」

撫子はこくこくと何度も頷いた後、最終的に首を傾げている。俺のツッコミは至極最もだと思うだろう。歌雨がちょこちょこ来ていたが、グラウンドの中央から声が突き抜けて届く。

「おーい!そろそろ走り始めるぞ!準備しろよ~」

香折先生の指示が入ると、時間かー、と残念そうに歌雨がそちらへ向かい始めた。俺達もばらばらと集合する。
撫子は俺が初日に言った通り、自分が思ったことを、俺がいる時はまず俺に伝えている。いつもだったら俺が代弁するんだけど、今日は時間がなかった。撫子の発言、言葉が間違ってたり何かしら変なことが多くて、俺としては面白いんだけど、撫子は全員には伝えにくいようだった。骨が柔らかい天翔と歌雨、面白いと思うんだけどな。
そうして全員がスタート地点に立つ。改めて周りを見ると、ちびっこから結構なおじさんらしき人まで集まっている。一緒に授業を受けてるって思うと、変な感じがする。
香折先生がすっと息を吸った。はじめ、という合図の後に、一年目の面々が全員、走り出した。デカイ学院の一年目ってだけあって、人数も多い。チームのメンバーを見失わないように目を配っていると、天翔が先頭を走る集団に合わせて速度を上げ始めた。思わず追い掛ける。

「ちょっ……お、い。天翔」
「お?なんだ、紅輔もこっちで走るのか?」

天翔は平然とした笑顔で俺を見下ろしている。こっち、とは、恐らくこの前の方を走る集団のことだろう。一度チームを解散したりして、ある程度体力が出来ている人間がいる中、俺と天翔は、四分の三程の割合の生徒を引き連れて走っている。歌雨と撫子は、もっと後ろにいるはずだ。

「お前こそ、こんなペースで大丈夫かよ」
「これが俺のペースだからなっ。お互い自分のペースで走ろうぜ」
「……、ああ、分かった」

俺は頷きながらも、天翔のペースに合わせて走っている。もちろん、こんなのは本来の俺のペースじゃない。半分よりちょっと前くらいで、きっといっぱいいっぱいだ。運動神経だって体力だって、俺は一般人の域を出ないんだから。
だけど、それで天翔を追うのを諦めるなんて、俺が廃る。
天翔をライバル視とかしてる訳じゃない。と、思う。天翔は敵じゃない。いっつも爽やかに笑ってる、根っこの芯まで純粋なコイツを、敵だなんて思えるはずがない。チームの、俺の仲間だ。だからぶつかって、力を知りたい。

勝ちたいとは、きっと違う。「負けたくない」んだ。俺が本当に欲しいのは、天翔からの勝利じゃないから。

(やっべ……もうちょっとキツくなってきた)

汗で早くもインナーのシャツが濡れている。ベタベタで気持ちが悪い。二周目を終えると、周回遅れの生徒の背中を抜かすことになった。撫子はかなり後ろの方を走っており、黙って横を抜かす。走ってる途中で、どうアクションを起こせば良いのかも分からねえし。
そこからもう少し走っていくと、前を走っていた赤くて不思議なグラデーションになっている髪の男子が、周回遅れの女子の肩を叩いた。ピンクっぽい朱色の髪が驚いたように揺れる。

「観月お先!」
「そんな早さだとバテちゃうわよ」
「だーいじょうぶだって!」

気心を知れたようなやりとりを目の当たりにして、俺の胸に、すっと何かが降りてくる。炭酸が抜けたコーラのような、軽くて気が抜ける気持ち。
――あ。あれで良いんだ。
俺も追って、その周回遅れの女子と並ぶ。ちらと顔色を伺ってみると、何か思いつめたような表情をしている。走るのが苦しいって言うよりも、思っていることが苦しいって顔だ。
天翔が先を行くので、俺もまた追い掛ける。その時、本当に小さな独り言だったんだろうけど、すぐ前にいた俺には届いてしまった。

「……変わらなきゃ」

変わる。変わるか。その通りかもしれない。……今、大切なことに気付いたかもしれないぞ。
今のままじゃきっと、討伐団に入ることは出来ても、あいつらすげえって言われることなんて夢のまた夢だ。
もしかしたら、天翔は言われるかもしれない。あいつはすげー奴だと。一体何者なんだと。実際少し一緒にいただけで、俺はもう思い始めている。性格も、行動も、本当にすごい奴だ。
だけど、それだと駄目なんだ。
少しスピードを上げて、天翔と再び並ぶ。横腹が痛くなってきた。吐く息が長くて荒い。右足のふくらはぎがつりそうになっている気がする。
抜かす人間に少しずつ男子が混じってきて、歌雨の背中が見えた。天翔がちょっとだけ前に出て、歌雨へ手を上げる。

「よっ、歌雨」
「あ、もう周ってきたんだ。速いね」

歌雨はまだちょっと余裕があるようで、そんなに息も上がっていない。俺と天翔を見て、軽く手を振る。

「ぼくは無理せず程々に行くから、二人もあんまり無茶しないでね」
「ん!了解っ」

天翔も元気に返す余裕がある。俺もゆっくり頷いておいた。返事の声が出ない時点で、多分歌雨には察せられているだろう。実際今の言葉、天翔じゃなくて俺の目を見て言っていたし。気を遣われたらしい。意外とそういうところで頭が回る奴なんだな、あいつ。
歌雨を越して、天翔の横で走る。三周目、四周目。喉がカラカラで、吸った空気がへばりつくような感覚がある。余計な考えがポンポン浮かんで、脳みそがどうにかなりそうだ。耳の奥から頭痛がする。腹と胸が痛い。前の方を走る他の連中より、明らかに俺だけぜえぜえうるせえ自覚がある。

五周目、六周目。ふわふわと揺れている、太陽に反射した金髪が見えた。一番後ろではないが、やはりかなり遅いところを走っている。
俺は腹と脚に力を入れて、僅かに天翔より前に出た。抜かし際、力の加減が分からなくて、弱めに肩に触れる。それでも撫子はこっちを見てくれた。同じくらいの背だから、目線を合わせるのは簡単だ。

「……がんばれっ」
「!……っ」

目を見開いた後、弱々しく頷いた。正直出せたのがかなり小さい声だったから、届いてるか不安になったけど、何とかなったみたいだな。すぐに撫子を抜かして、走り続ける。これだけ言えたら充分だ。
七周目に差し掛かる時、いよいよ足が悲鳴を上げ出した。まだあと三周もあるってのに、結構、限界なのかもしれない。そういえば、三周までくっついていた赤髪が、さっきよりも遠くにいる。明らかにスピードは落ちている。いやでも、と考えていると、天翔が俺に近寄った。

「紅輔」

流石の天翔も、さっきまでの余裕と元気は薄れているようで、表情が真剣になっている。それでも、俺程息は上がっていない。

「俺、ちょっとスパート掛けてく。お前は辛そうだし、後から来いよ」

ぽん、と俺の肩に手のひらが乗ると、七周目に入った。すぐに天翔の背中が目に入って、少しずつ離れていく。少しずつ、遠くなる。越されてはいないから、俺が遅くなったんじゃなくて、天翔が速くなったんだ。
――食らいつく暇もなかった。追う暇もなかった。
天翔は離れていたはずの赤髪と並んで走っている。俺は、少しだけスピードを落とした。

八周目、九周目。俺があと半分になったところで、天翔はゴールしていた。
もっと、もっと。最後に足を早める。もっとだ。もっと。別に、少しでもタイムを縮めたかった訳じゃない。
天翔が先にゴールした時の気持ちを、今は脚に消化させるしかなかったからだ。


「お疲れ!」
「…………」

天翔は十周を終えても、そのすぐ後にゴールした俺に、俺のタオルと水筒を用意してくれていた。俺はもうゴールしてすぐに、邪魔にならないところで倒れ込む。天翔の言葉に頷くことしか出来ない。この時点で、天翔と俺との差ははっきりしていた。

「次は筋トレだってさ。紅輔も休んだらプリントもらって来いよ」

タオルと水筒を受け取って、上半身だけ起こす。喉に流し込むと、身体の芯が生き返る感覚がした。天翔は既にプリントに目を通し始めている。

「もう、やんのか?」
「そうだなー、もう少し休んだら。十周はキツかったキツかった」

とか言いながら、足を解した後あと一周でゴールする歌雨の分を取りに行った辺り、本気でキツそうには見えない。あー、汗が気持ち悪い。座って息を整えてたら、頭痛は収まってきた気がする。酸素が足りなくなってたのか。
歌雨がゴールして、手で扇ぎながらこっちに来た。思っていたよりフラフラしていなくて、本当に無理しない程度のペースで走り切ったらしいな。

「お疲れ様ー。紅輔飛ばしてたでしょ?意識まで飛ばして死んでない?」
「……ギリギリ現世に留まってる」
「それなら安心しました」
「歌雨もお疲れ。ほい歌雨のやつ」
「サンキュー」

にへ、と歌雨が笑って、天翔から自分の分の休憩品を受け取る。誰も何も言わずとも、俺達の目は自然と残りのもう一人に向かっていた。歌雨は男子に混ざってゴールしてたから、女子の中でも比較的速い方だった。

「撫子、あと何周?」
「確かぼく二回抜かしたよ。だからあと二周と半分かな」

俺の疑問に歌雨が答えた。撫子は、グラウンドの半分辺りを懸命に走っている。苦しそうに足を動かして、必死に。アイツはあれが全力なんだ。
天翔がぐっと伸びをして、筋トレを始める。俺は本気で限界が来てるから、まだ身体が動かない。なんつうか、かっこ悪いな俺も……。歌雨もまだ休んでいる。
ここで撫子が終わるまで休むのも手だった。けれど、それをしたら駄目だよな、きっと。

「じゃ、俺もプリントもらってくる」

節々がまだ痛いけど、呼吸が整ってきたならやれる。まだいける。香折先生からプリントをもらって、トレーニングを始めた。
あと撫子が半周になった時、また身体がキツくなってきた休憩ついでに、アイツの分のタオルと水筒を取りに行く。天翔にばっかりやらせる訳にはいかねえ。

ゴールした撫子は、今にも倒れそうになりながらゆっくりと歩いてくる。肩で息をしていて表情が見えない。本当に大丈夫か。ふらりと傾く度に心臓に悪い。と、天翔が筋トレを止めて、撫子に大股で近寄っていく。時計を見ると、かなりギリギリの時間だった。休憩の時間を考えると、筋トレは無理だろうな。
天翔は、指一本で押せば倒れてしまいそうな撫子に近寄ると、支えるように両手を肩へ置いた。

「撫子~お前すっげー頑張ってたな!俺筋トレしながら見てたぞ~~うれうれ~~」
「あ……あ、……っ」

こつん、と額を突き合わせたと思ったら、そのままぐりぐりと押し付ける。撫子は抵抗する力も、あの、と言う力もないらしく、完全に目を瞑ってされるがままになっていた。閉じてる瞼に力入りすぎだし。仕方なく俺も近寄る。

「天翔。一回離してやれ、タオルとか渡せねえから」
「お、そうだな」

天翔がぱっと手を離すと、撫子は半ば尻もちをつくように座り込んだ。タオルと水筒を差し出すと、撫子は息を荒くしながら、困ったように俺を見ている。

「ご……ごめん、ね。……こんな、その」
「そんな気にすることないでしょー。それよりお疲れ様撫子」
「お前が言うかよ」

にゅっと割り込んできた歌雨にすごい気が抜ける。けど、撫子の顔はどうにも晴れない。ああ、まただ、と直感が告げている。こういう時、どういう言葉を掛ければ良いか、俺は全然分からない。

「それじゃあ、こうする?今度の休日、四人で遊びに行こうよ。それでチャラってことでひとつ」
「あ!良いなあそれ!」
「そうか、今度が初めてゆっくり出来る休みなのか……」

突っ立っていると注意されかねないので、各々ゆっくりと筋トレを再開しながら、歌雨の提案について話し合う。天翔は腹筋運動しながら賛成しているから、絵面が軽くシュールになっている。
何だかんだで今までの休みは、部屋の整理をしたり学生生活にいるものを買いに行ったりで、あまりゆっくり出来る日がなかった。そう思うと、タイミング的にもちょうど良い。ドリンクを飲んでいた水筒から口を離して、撫子がおろおろと視線を三人にさ迷わせる。

「で……でも、わ、たし……あのね、それだと、何だろ……。私が、嬉しくなっちゃうっていうか、それだと、もっと私がプラスになっちゃって、えっと、全然、ちゃらになってなくて……」
「そうでもないだろ。一人でこもってる方が楽しい奴とかいるし、場合によってはマイナスな提案にもなるぜこれ」
「……そう……なの?」

俺がそう言うと、撫子は首を傾げた。まあ、そういう奴とは無縁そうな感じだから、不思議に思うのも無理はなさそうだ。そういう奴がこのチームにいなくて本当に良かったな、と思う。恵まれている。
そうだよ、と言おうとした矢先、終了の号令がかかる。何だか、異様に長い一時間だった。翌日に響かないよう柔軟をしっかりとしておくようにと注意を受けて、初めての実践系の授業は終わりになった。

ばらばらとグラウンドから生徒達が去る中で、先程前を走ってた男子と思い詰めていた女子の、赤系の髪二人が目に付いた。飾らない言葉を言い合っている。思えば数日前に見た、天翔が仲裁したあの二人もそうだったな。
飾らない関係。俺と三人も、そうなっていけるんだろうか。チームハヤブサと。
何故か燻っている一抹の不安を抱えて、今度の休みに行く場所をどこにしようか考えた。遊園地とかはまだ、ハードルが高いよなあ。