04

休日を使って友人と遊びに行くなんて、何年ぶりだろう。中学の途中と高校の時は行っていないと思うから、かれこれ二年は経っていることになる。今色々思っても、仕方の無いことではあるんだろうけど。寮の前で撫子を待ちながら、ぼんやりと外を見上げた。一時間早く起きて筋トレをしたせいか、目は冴えているのに身体は若干疲れている。
ぱたぱたと慌てた足音が聞こえて、そちらに目を向ける。ワンピースにクリーム色のカーディガン。撫子のいつものスタイルだった。何やら言いたげにしているが、何となく察しがつく。

「こっ、紅輔く、あの、もしかして、待って」
「待ってはないから心配すんなよ。筋トレ早めに終わったから早めに来ただけだ」
「そう、なの?」
「そうなの」

撫子の言葉をそのまま返しながら、バス停へと歩き出す。ショッピングモール行きのバスにしっかり乗って、座席に座る。日曜だし、もっと人が多いかと思っていたけど、こんな朝から乗る人はそんなにいないみたいだ。まばらな老若男女が乗るバスの中、撫子が窓の外に夢中になっている。窓越しに映る撫子は、長めの前髪が垂れ下がっていた。

「前髪切らねえの?」
「えっ?」

撫子が窓に手をつけたまま、首だけこっちを振り向く。一瞬だけ、何にも困ったり怯えていない撫子の顔が見えた。そのことに俺がビックリする。けれど、すぐにいつも通り、あわあわしながら言葉選びを始める。俺が驚いたことには、どうやら気付いていないようだ。

「あ、あのね、前髪……?前髪は……うーん……えっと、何ていうのかな。顔、ぱーっと出すの、恥ずかしいっていうか、その、あんまり似合わないような感じもするし、それに私には向いてないなあって、思うの」
「まあことごとく否定的な言葉ばっかり出てきたな。……むしろピンとかで留めたららしくなるって、俺はそう思う」
「ピンで……あの、おでこが、出るよね」
「出るな。そりゃ最初は恥ずかしいかもしれねえけど、デコ出すとすっきりするだろ。また違う気分になれるかもしれないぜ?せっかく今からショッピングモールに行くんだし、まずそういう所に行くか」
「…………違う気分……」

撫子が僅かに俯く。落ち込んでるのかと思ったけど、これ、もしかして考え込んでるのか。おそらく撫子の中で、今色々考えが巡っているはずだから、そっとしておくことにした。次はショッピングモール、とアナウンスが流れたところで、下車のボタンを押す。バスの降り際、撫子が危なっかしくコケそうになってたので、思わず手を差し出していた。怖過ぎるだろ……。
待ち合わせのショッピングモールの入り口に到着する。まだ天翔と歌雨は姿が見えない。向こうも住宅街で待ち合わせた後に来るって言ってたな。

「今更な質問な気もするけど、運動苦手なのか?」
「……あ、その……うん……。……」

撫子は何かを言おうとして、口をつぐんでしまう。今の質問は失敗だったか。どうにか頭を捻って、次に言う言葉を考える。

「変に思い込むなよ。俺にだって苦手なもんはあるし」
「え、こ、紅輔くんに?」
「あるんだよなぁ、これが……。つうか、よく運動苦手で討伐団に入る気になったよな。魔物と戦うんだぜ?」
「それは……ね、一応、理由があるの。あるんだけど……その、あんまり、話したくなくて」
「話したくない?……重い事情でもあんのか」

俺の言葉に、撫子はすぐ首を横に振った。優柔不断な撫子がすぐに反応をするってことは、きっと嘘ではないのだろう。だって、と、弱々しい声で小さく呟く。

「こう、何て、いうか。こんなこと、話しても…………せっかくの、みんなでのお休みなのに、つまらなくなっちゃうもの。それは……私ね、嫌だよ」
「……お前な、それは」
「よーっ!!お待ちどうさん!!」

ギャキキキキキキ、と歪なのか悲鳴なのかよく分からない音を出しながら、青い旋風が前を突っ込んできた。とてつもないブレーキと摩擦の力で入り口寸前で止まり、横のスペースに何事もなかったかのように自転車を駐輪する。至ってけろっと平気な顔して降りるそいつに、俺は腕を伸ばした。

「待て待て待て!!お前自分がどんだけ危ねえことしたか自覚しろ!!」
「まーまー、おかげでちゃんと時間通りに着いたしさ。結果オーライっ」
「これっぽっちもオーライじゃねえ!!」
「おはよー皆の衆。お待たせ」

後ろからピンク色の自転車を漕いだ歌雨も姿を現す。天翔の自転車と並んで駐輪したものの、なんつうか、兄妹みたいだな……。結局撫子への言葉全部遮られたし。それはこの際一旦置いておくことにして、午前九時ぴったり、俺達はショッピングモールに足を踏み入れた。学院は制服って訳じゃないから、みんなの私服は別に新鮮でもない。歌雨と俺がいつもよりアクセサリーを付けてるってくらいか。

「さて、どこから行きます?開店したばっかりだからどこも行き放題だよ」

歌雨が先頭を歩いて、こっちの顔を伺う。あ、そうだ、撫子のピン。忘れそうになっていた。

「撫子の髪を上げるピン買いたいって思ったんだけど、そういうのは何処にあるんだ?」
「撫子の髪?……あー」

歌雨は撫子の顔をじっと見つめて、納得したように頷いた。良かった、思っていたのが俺だけじゃなくて。入り口で留まっているから、近くにある案内板を確認する。全員学生だし高い物は買えないということで、一先ず百均を目指すことになった。
ショッピングモールは、近くにマンモス校の学院があるし、住宅街もあるせいか、結構な大きさだ。店がぎゅうぎゅう詰めに並んでいて、カフェから服屋からアクセに時計に揃ってる専門店街と、食品売り場等が揃うショッピングモールのブランド経営のコーナーに分かれている。奥にはシネマもあって映画も見られるし、ゲーセンもレストランもあるし、一日遊ぶには事欠かない。その中で最初に選ぶのが百均っていうのは、まあ……このチームらしいと言えばらしいかもしれない。
百均に着いたら、ピンを探してフラフラする。ビニールと安っぽい紙に挟まったカラフルなピンが並んでいるのを、歌雨と撫子が選んでいる間、男二人は後ろで見ていた。

「撫子はどういうピンが良いかなー」
「わ、私……あの……ぱちんってなるピンは、えっとね、本当に出来るなら、痛そうだから、やめて欲しいかなって」
「あ、俺包丁のキレが悪くなったから包丁研ぎ欲しいんだった。キッチンのとこ見てくるわ」
「じゃあ俺ついてこっと」
「決まったらそっち行くよー」

そうだすっかり忘れてた、包丁研ぎ。撫子を歌雨に任せて、天翔を連れて離れる。いちコーナーと言えど百均も広いから、探すのに苦労する。道すがら、横で機嫌よさそうに歩く天翔が俺に呼び掛ける。

「紅輔。包丁研ぎって言ってたけど、お前料理とかするの?」
「まあな。流石にぎっちり講義ある日はやる気なくなるから食堂行くけど、週の半分は自炊してる…………あ」
「あ?」

頭の中にふっと降りてきた考えに、一瞬、戸惑って口をつぐむ。言ってみようか迷ってしまったけど、天翔なら、大丈夫だろう。変な顔はしないはずだ。きょとんとしている天翔の目を見上げる。

「今日の夕飯、俺が何か作って部屋で食うか?お前と歌雨の両親が良いって言ったらになるけど」

途端、天翔の目が、光がこぼれて溢れるかってくらい、ギランギランに輝いた。店の蛍光灯より眩しい。

「えっ!?それって良いの!?」
「大丈夫だろ、部屋に人連れ込むのは制限なかったはずだし」
「そうじゃない!紅輔が大変だろって話!」
「俺?俺は大変でも何でもねえよ。家族の飯作ってたの俺だったし」
「お前すっげーな!俺ん家は大丈夫だぞ、連絡入れておけば何も言われないと思うから」
「そっか、なら歌雨に訊くだけだな。あーあった」

キッチンコーナーの包丁の近くに佇んでいた包丁研ぎを持って、レジへ向かう。途中撫子とハチ合わせて、手に持っている緑色のかわいらしいピンのことを褒めたら、また高速で首を横に振っていた。首だけ色々発達していそうだ。
俺と撫子がレジに並んでいる間、天翔と夕飯について歌雨に聞いてきてくれていたしらしい。天翔に何気なく目を向けると、満面の笑みで、両腕を使い丸を作っていた。天翔の無邪気さには、しばしば脱力させられる。

「撫子。今日の夕飯、俺の部屋で作ってみんなで食おうって思ってるんだけど」
「そう、なんだ。すごい……すごいね。あの私は、本当に全然大丈夫っていうか、あのね、逆にとっても嬉しいから、やってほしいな」
「おー、歌雨と天翔も大丈夫だから出来るぜ、今日」

俺がにやりと笑うと、撫子は嬉しそうに頷く。並んでいた奴が二人しかいなかったせいか、レジはすぐに空いた。買う物を買って、すぐそばにあった休憩スペースで、撫子のピンの包装を開ける。邪魔っぽかった前髪を左に退けて、ピンで留めたら、撫子はおそるおそる手を下ろした。おお、と歓声が上がる。俺も含めて。
目に掛かりそうになっていた前髪が退けると、額と細い下がり眉が露になる。随分さっぱりした印象になった。

「似合ってるよ撫子っ」
「良いな!顔見せた方が絶っ対良い!」
「せっかくかわいい顔してるんだからさー、服ももうちょっと買ったほうが良いかもね。紅輔買ってあげなよ」
「俺!?買わねえよ!」

歌雨の無茶ぶりに声が大きくなる。似合ってるも見せた方が良いも歌雨と天翔に言われるし、俺が言うことゼロじゃねえか。顔を見せるやいなや、撫子は歌雨に腕を引かれて今度は服屋へ向かう。ゲーセンとかで遊ぼうって話だったのに、すっかり路線変更されたな。
俺と天翔は二人の後からすたこらついていく。故郷で姉ちゃん達の買い物に付き合わされたことを思い出した。どこに行っても女の買い物って変わらないのかもしれない。天翔は変わらずソワソワウキウキしてる。四人で服屋をゾロゾロ徘徊するのも気が引けるので、俺と天翔はちょっと隅のところで待つことになった。

「……やたらテンション上がってんのな、お前」
「チームで遊ぶってこんなに早く実現するとは思ってなかったしな。嬉しいんだよ。ダメか?」
「ダメではない。そういうところは天翔の良いとこだよなって思ったんだよ」

俺はそうやってニコニコ笑うのって、結構難しいし。そう言うと、天翔は驚いたように目を丸くしていた。なんだよ、俺何か変なこと言ったか?

「うーん、これとか似合うんじゃないかな~」
「えっ、わ、私こんな、こんなに長さが短いのは、えっと……」
「きゃ、っ」
「姫!大丈夫?」

撫子が遠慮して後退りをした瞬間、ちょうど背中を向けていた誰かに、撫子の背中がぶつかった。僅かに高い身長の撫子が当たった少女は倒れそうになり、緑のリボンに結われたポニーテールがひらめく。傍にいた髪の赤い付き添いが手を伸ばして支え、立て直した。振り向いた撫子の肩が揺れ、震える手をあちらこちらにさ迷わせている。何か口をぱくぱくさせているから言おうとしているんだろうけど、生憎小声過ぎて向こうが気付いていない。

「う、うん……。ありがとう、林檎ちゃん」
「それなら良いわ。けど……ちょっと、危ないじゃない!」

赤髪の方のやつが、きっと目を吊り上げた。が、撫子が思い切りびくっとしたのを見て、呆気に取られたような状態になる。ポニーテールのやつも逆に慌てている。あ、歌雨が動いた。

「あーごめんなさい、悪気はなかったんです。ちょっと服見るのに集中しちゃって。ね?」
「え……あ、は、はい、本当に、言っている通り、なんです……っ。悪気はなくって、でもぶつかっちゃって、ご、ごめんなさい……」
「あっ、あたしの方こそ、ごめんなさい……!もうちょっと、注意しておけば良かったんですけど」
「あ、っえ、そ、それは、ないんですけど、わっ私が、全部責任は負わせてもらいますのでっ」
「せ、責任……」
「はーい撫子ちゃん発言がちょっと意味分かんなくなってきてるからそこまでねー」
「姫もそんなに慌てなくて良いわよ。堂々としなきゃ」
「はい……」

わたわたとしていた二人が一斉に肩を落とす。双子のような動きのシンクロっぷりに思わず笑みが溢れた。当人達からしたら、笑い事じゃないんだろうけど。ほんとに。
結局撫子は悩みながら服を一着だけ買い(白いレースのワンピースだった。確かに撫子っぽい)、夕飯は何にするかという話をしながら、早めにレストランに入ることになった。まだ満席になっておらず、がっつりとした昼飯より軽食を頼む客が多い。四人席に通されたところで、天翔がぼーっと店員を見ながらぽつりと呟く。

「俺らって店員とかにはどういう風に見えてんだろ」
「どういうって……友達の集まりとかだろ?急に何だよ」
「もしくはダブルデートとかが無難だよね。その割にはいちゃついてないけど」
「チームなんだから当たり前だろ……」
「する?」
「しねえよ!!」

歌雨のこの毎度の無茶ぶりは何なんだよ一体!!と、下らない話を終えたところで、撫子がメニュー表を俺と天翔側に配ってくれた。俺が奥に座ってて、正面が撫子、隣が天翔。最初の集まりと似たような席になっている。

「ぼく焼き魚定食ー。みんなは?」
「俺肉派!カットステーキ食おうかな」
「お前ら決めるの早えな!あー……いいやオススメのハンバーグで。撫子は?」
「わ、私は、この、えっとね、特盛激辛ミックスミートと、ご飯の大盛り」
「おー分かっ………え?」

さらっと言ってのけた言葉をさらっと聞き逃すところだった。撫子が指差すページを、天翔とつばを飲みながらおそるおそる開いてみると、物理的にもデカデカとそれは載っていた。真っ赤なハンバーグと真っ赤なステーキがビックサイズになって、皿からはみ出さんばかりに鎮座している。加えてご飯の大盛り。

「え?…………え、撫子お前これ四人で食うんじゃないんだぞ?一人分を頼めって話だぞ?」
「う、うん、だから、これ……」
「…………」

開いた口が塞がらない。天翔を伺うと石化していた。うん、普通そうだよな!普通その反応だよな!横でケロッとしてる歌雨がおかしいんだよな!

「あれ、みんな知らなかった?撫子激辛好きの大食いじゃん」
「知らねえよ!飯今までバラバラで食ってたじゃん俺達!」
「ぼくと撫子は一緒に食べてたよ。むしろ紅輔と天翔はなんで一緒に食べようと思わなかったの?」
「……ま、まだ飯は早いかなと思ってて、今回を機に学院でも食べようと」
「俺も!俺もそれっ!ひっでーよ誘ってくれたら行ってたのにっ!」

天翔が復活して、もどかしそうにじたばたし始めた。腕をぶんぶん振ってこっちまで当たりそうだ。勘弁しろ。けど、俺も天翔も脳天に雷が落ちたのは確かだ。こういうのを抜け駆けって言うんだよな。女子ってこうなのか……?あ、撫子がまた何か言おうとして言えてない。

「撫子。何かあるのか?」
「あ……あのね……」

俺が言い出すと、天翔と歌雨も黙って撫子を向く。撫子は助けを求めるように俺の目を……見つめるなよ!大丈夫だから頑張れ!……大丈夫だから行け、という意味を込めて俺は頷く。

「……か、からいの、みんな大丈夫?」
「……へ?」

この場にいる三人の頭の上にはてなが浮かぶ。えっと、と撫子が言葉を選びながら口を開いた。

「結構、こういうすごいのって、あのね、目に痛かったりとかするし、その、においとかも大変な時があるの。だから大丈夫かなって、言おうとして思ってて。それで、あとは、えっと」

撫子の言い分に、ここら一帯の空気が緩んでいくのを感じる。あとは、と言葉に詰まっている撫子を、俺はじっとりと見つめた。

「……撫子、今までの話聞いてた?」
「え」
「あっこれは聞いていないという反応ですね」
「え」
「なーんか、俺わりと怒ってたのにその気失せちゃったな」
「え」

淡白な反応の歌雨と、あーあ、と肩を竦めて落ち着いた様子の天翔を、撫子は交互に見つめる。だから首千切れるぞお前。
いや、まあ、予想は出来る。正直。料理を言ってから反応が悪かったから、俺と天翔がそういうの大丈夫かずっと心配していて、その後の会話が耳に入っていなかったんだろう。
俺も沸点が急降下するっていうか、これじゃ流石に気が抜けるわ。冷えた頭で考えると、大事なことに気がついた。混乱した撫子は置いておいて、俺は三人に切り出す。

「あのさ。……とりあえず、料理頼まねえ?」