05

腹が膨れたところで、俺達はゆっくり歩いてゲーセンに向かっていた。……撫子が食ってた量、思い出すだけで胸焼けがしそうだ。運んできた店員も撫子に驚いていたし、何より見たことのない分厚さをしていた。辞書かよ。あの量を食べて平気な顔をしているんだから、怖い。ヤバイだろ、あれは。横を歩く撫子の表情を伺うと、前で肘をつつきながら歩く天翔と歌雨を和やかな顔付きで見守っていた。
ゲーセンは昼が過ぎて、大賑わいだった。UFOキャッチャーやメダルゲームは幼い子どもたちで埋まっている。その中で、一際特徴的な形の音楽ゲームが、入口近くに置いてある。天翔が目を輝かせた。

「あっ太鼓の達人あるじゃん!俺これ好き!」
「いいね、ぼくもやるやる。撫子と紅輔は?」
「わ、たしは、大丈夫だよ。あのね、二人がやってるところ見てるから、えっと、ほんとに大丈夫」
「…………俺もいい。二人でやれよ」

脇で見学を決め込んだ俺と撫子をよそに、天翔はバチを持ってふんすふんすと腕をまくって気合を入れている。歌雨は何度か太鼓の面を叩いて調整に入っていた。

「よーしスコアで勝負だ歌雨!」
「望むところ!あ、ぼく鬼いけるよ鬼」
「えっ俺無理」
「じゃあ良い機会だしやってみない?最悪ぼくがクリアすれば良いし」
「あー……御手柔らかにお願いします……」

一気に肩を落として意気消沈した天翔と、イキイキし始めた撫子。アイツ、結構ゲームとか好きなのか……。隣の撫子を見ると、俺に話し掛けてくる様子はない。二人を見る目は、好奇心に溢れているような印象だった。もしかしたら、ゲームをあまり知らないのかもしれない。

「…………」

俺は楽しそうな二人の様子を見守りながらも、頭の中は考えでいっぱいだった。
チームにはとても恵まれたと思っている。こんな早い段階から、こうして遊びに出かけているんだから。けど。だけど、何て言えば良いんだろう。まだ何かが足りないような気がする。闘争心とか、そういうのとは違う。気合い……でもない。分からない。
分からないことだらけだ。四月だから、そんな急ぐこともないんだろうけど。気になるのは今のところ、ほとんど撫子のことだ。

運動が苦手で、人と話すのが苦手で。そんな撫子が討伐団になろうと思った理由がどうしても分からない。探るようなもんでもないのは分かっている。すごく知りたいかってきかれたら、そうでもない。
ただ。撫子はどこか、俺達を「見過ぎている」ところがある。気にしすぎていると言い換えても良い。俺達を怖がっているわけでもないのに、何に怖がっているんだ?すぐに俺達に対して、遠慮をしてしまう。…………遠慮するなって言ったところで、取っ払うやつではないだろう。
優しいだけ、なのかもしれない。だとしたら、その優しさはいつか裏目に出る。撫子だって考えていない訳じゃないのに、何も言わずにいたら、それはチームじゃない。……俺は、そんなのは嫌だ。

考えは、一応ある。

「出来たー!!俺すごくない!?一発で鬼出来たんだけど!」
「これ結構クリアするの苦労したんだけどなあ。やっぱり天翔はすごいよ」
「へっへへー」

ゲームが終わりリザルト画面に差し掛かったところで、俺は盛り上がってる二人に、空気が張り詰めない程度の真剣具合で近寄った。今欲しいのは時間だ。

「なあ。ちょっと良いか?」

俺の言葉に、撫子を含めて三人からの注目を浴びた。俺はゲーセンの奥を伺う。……ああ、良い具合の混み加減だ。UFOキャッチャーなんて、フィギュアとかぬいぐるみとか取る勝ち目のないもの以外はほとんど埋まってしまっている。

「俺飯の買出しと支度があるから、ちょい早めに帰るわ。歌雨、手伝ってもらっても良いか?」
「ぼく?いいよ」

歌雨が快く頷いてくれた。自分達は、という顔をしている天翔と撫子に笑いかける。

「お前らはゲーセンは混んでるし、他に色々回ってろよ。そうだな……七時に飯にしよう。男子寮の前に来れば良いから」
「じゃあここからは俺と撫子、紅輔と歌雨で別行動ってことか」
「そういうことだな。また七時に。行くぞ歌雨」
「はいよー」

ひょいひょいと歌雨は俺の後ろについてきて、横に並んだ。軽く手を振ってから顔を見合わせた天翔と撫子を尻目に、俺と歌雨はエスカレーターに乗って一階に降りる。それから食材の買出しではなく、ショッピングモールの外に出た。強い日差しの下で、歌雨が不思議そうに目を瞬かせる。

「あれ?買出しはしないんだ」
「寮の近くにあるスーパーのが運ぶのに楽だろ。そっちで買う。……その前に、話がある。学院の方横切って、近くのカフェにでも入ろうぜ」
「え、なに、告白?」
「ちっげえ!!」

人が真剣に言ってるってのにまったく!歌雨は冗談、と言いながら茶化すように笑った。この、俺といる時にボケを入れてくるのはどうにかならないのか。
歌雨は自分のピンク色の自転車をひいてきて、俺と歩き出した。寮まで歩いて行くのは少し遠いけど、まあ良いだろう。歌雨はひとしきり笑った後、落ち着いた面持ちに変わった。

「そんなことだろうと思いました。じゃ、移動しますか」





歌雨と他愛のない話を交わしながら、通りがかったカフェに入ることにした。「ツバメの巣」と書かれた看板は、店が出来たばかりなのか、まだ新しい。近くに自転車を留めて、扉を開ける。カラン、とベルの音がした。カフェらしく渋い音を鳴らしている。
バイトらしき人に席を通され、談笑している客の横を座る。カウンターでは店長のような人と客が笑っているのが見えた。常連はいるみたいだ。
メニューに目を通すと、歌雨はすぐに決まったらしく俺をじっと見てきた。視線がくすぐったい。

「ぼくはホットミルクにする。紅輔は?」
「カフェラテとワッフル。……決まるの早いな」

さっきはワイワイしていて注文まで時間がかかったのに。けどここでグダグダしてたらしてたで勿体ないので、今度は早めに呼んで注文をすることにした。歌雨は自分から言う気配がなかったので、全部俺が言うことに。ちゃっかりしやがってこのやろう。

「紅輔ってスイーツとか好きなんだっけ」
「好きだよ。うまいし元気出るし」
「料理も出来るし女子より女子力高いんじゃないの?」
「男には嬉しくねえ褒め言葉だな……」

望んでなったってことでもないし。俺が渋い顔をすると、歌雨はおもむろに頬杖をついた。機嫌良さそうにニコニコ笑っている。

「それで、肝心の本題は?」
「おま、今訊くのかよ」

話題の温度差が幾ら何でも激し過ぎるだろ。スイーツから真剣な相談って。多分こいつにはツッコんでも仕方ないと思うので、この際スルーを決め込む。

「だって気になっちゃうもん。わざわざぼくだけ連れ出すなんて、結構深刻なお悩み?」
「あー……まあ、撫子のことなんだけどさ」
「うんうん」
「お前、あいつのことどこまで知ってる?今日の大食いのこととか、そういうこと含めてでも良いから」

うーん、と歌雨は明後日の方向を向いて考え始める。この様子だと、色良い返事は期待出来そうになかった。歌雨は片手から両手で頬杖をつく。

「どこまでって言われても、あんまり。ぼくから話振って、わたしも好きだよっていうのならいくつか聞いてるけど、当たり障りがないし多分紅輔が期待してるような答えはないと思うよ」
「……俺が、期待してるって?」
「前向きな答えとか気持ちとか、そういうの?まだ数週間しか経ってないけど、紅輔が天翔とは別の意味で撫子を気にかけてるのは分かるよ。わかりやすいもん。だからぼくも予想したの、合ってたでしょ?」

子どものように笑ってる歌雨だけど、言っていることは冷静そのものだ。そんな風に言われるとは思っていなかったが、理解しているなら話は早い。話を切り出す前に皿を持った店員がこっちに来そうなのを見て、一息つくことにした。
頼んでいたカフェラテとワッフル、ホットミルクが運ばれてきて、メープルシロップをワッフルにかける。甘い香りが漂った。銀のナイフが入ると、さっくりと音がする。おいしそー、という歌雨の声は一旦置いておいて、口に入れたら甘くてうまかった。やたらキラキラした目で見てくる歌雨にも、結局一口やることに。ちゃっかりしやがって!

「んー、おいしい~」
「マジで食えないやつだな」
「ぼくは今食べてるけどねー」

頬に手を添えて、幸せそうに頬張っている歌雨。ゼータクめ、と思いながらも憎めないのは、歌雨の不思議なところだと思う。しっかり飲み込んだ後にフォークを返してもらって、話を切り出す心構えをする。自然と深い息が出た。

「それで、色々考えたんだけどさ。あいつ、自分のこと言いたがらないだろ。言うとしても俺にだけ」
「そうだね。たまにずるいって思ってる」
「撫子も、本音はチームに言いたいんだろうとは思う。でも自分は役に立たないから……ってことで、引っ込んでる。今のままだときっと、実力的にも俺らとあいつって離されるんじゃねえかな。あいつは、それでも良いとか、それが当たり前だって思いそうなんだけどさ……」

でも、と。だからといって、と。喋っているうちに、俺の意志がまとまって、言葉を作っていくのを感じる。俺はそんなのは嫌だってことの、その先にある目標と気持ちを。くっきりと芽生えさせていく。

「俺達は足並みを揃えたい。チームでありたいんだ。撫子のことは撫子に訊かないと分からねえし、でも今日あいつは運動も苦手だって分かった。俺達に何も出来ないことはない。ここで鈍臭い奴が来ちまったなんて思うのだけは、俺が廃るんだよ」

適材適所って言葉があるのは分かっている。けれど、逆に考えれば、それでも撫子にはここに居ようと思える理由があるということだ。それを無下には出来ない。
それなら、やれることはたった一つだ。俺が撫子と比べてすげえ秀でてるってことじゃ全然ないけれど。

「合わせてやろうぜ。あいつに」
「合わせる…………って?」
「あいつをサポートするんだ。本人にバレないように。俺もお前も強くならなきゃいけないのに、難しい頼みだっていうのは分かってんだけど……」
「…………ふーん。なるほどね」

うん、と歌雨は納得したように頷いてくれた。話は伝わったようで、俺としてはほっとする。歌雨はホットミルクをひとくち飲むと、ぴ、と人差し指を立てた。どこか試すような視線を向けられている。

「ひとつだけきいていい?天翔には言った?」
「迷ってる。なんか……あいつ、嘘付けないタイプに見えるし。それに、今の様子見ても、結構合わせてるように見えるんだよな……あの走り込みの時とか」
「あー、あれは確かにぼくもびっくりした!あの二人って一緒にいたらふわふわしてどっか行きそうだよね」
「……分かる……今も浮きながら回ってるかもな」

たんぽぽの綿毛よろしく、ふわっと飛んでいきそうなイメージが頭の中に広がる。何よりツッコミ不在だし。というか、この中だと毎度俺がツッコミに回らないといけないような気がするのが何とも言えねえ。

「そう思うと紅輔って結構よく分かんないよね」
「は?」

さらっと言われた悪口か褒め言葉は判別のつかないそれに、思わず眉を潜める。怒りすら見えそうな俺の視線に、歌雨は冷静にホットミルクをすすった。

「最初会った時なんて、全然喋らなくて、いかにも一匹狼って感じだったのに。無茶して走るし、チームについてこだわってるし、よく分かんないよねー」
「それ、ただ俺が人見知りってだけだから……。それ言ったら歌雨の方が不思議だろ」
「ぼく?どこが?」
「なんつうか、天翔と撫子と比べて、イマイチ紛れてるっていうか、前に出ないよな」

そう言いながら、ワッフルを口の中に入れる。あ、ちょっと冷めた。勿体ないか
らさっさと食べてしまおう。
歌雨はホットミルクのカップを持ち上げると、にんまりと笑う。何なんだ。

「では、優しいぼくがぼくのことを教えてあげましょう。心して聞くように」
「……どうもありがとうございます」

乗り切れない思いを抱えて頭を下げる。よろしい、と演技めかした口調の歌雨は、カップを俺に向かって傾けた。残り少ない中身は溢れることはなかったけれど、真っ白い色が見える。

「ぼくはね、ホットミルクみたいな役割なんだよ」
「はあ……」
「あ、変な顔した。これでも冗談抜きで言ったつもりだったんだけどなー」

むう、と若干不機嫌になって、歌雨はカップの中身を飲み干してカラにする。俺のワッフルも最後の一口。ありがたくいただいた。ワッフルうまかったし今度また来よう、という余計な考えは、歌雨のために一旦置いておき。

「ホットミルクみたいな役割っつっても、分かる方がおかしいだろ」
「料理するならニュアンスは分かると思った。牛乳って、色んなものをマイルドにするでしょ。ぼくはそういう存在なんだよ」
「まあ……『つなぎ』って意味じゃ一役買ってるかもな」

現に、四人が集まった時一番に口を開いたのは歌雨だ。何事もそつなくこなしている歌雨は、目立ってはいないが万能ではある。参謀ポジション、みたいな。チームには、そういう奴も必要なのかもしれない。それでも少し、引っ掛かるところがある。

「でもさ、自分のポジションって、自分で決めるようなもんなのか?」
「そうした方が立ち回りは楽だよ。ぼく結構こういう役割気に入ってるし」
「そうなのか?……俺にはよく分かんねえわ。俺はそういう、こういう人間だって収まり方はしないってこの前決めたから」

へえ、と歌雨が大げさに感嘆の声を漏らした。そこまで反応されるようなこと言ったつもりはなかったんだけどな。歌雨が小首を傾げる。

「じゃあ、その前の紅輔は、自分のことをどう思ってたの?」

歌雨の質問に、少しだけ間を置いた。戸惑ったわけじゃない。天翔の背を追った時の自分の姿を、未来から振り返って見ていただけだ。
まだ何も変われていない。まだその枠は出れていない。「まだ」だ。時間がかかったって、いつかは、あそこへ。

「一般人。……俺はそれ以上でも、それ以下でもなかった」

的確だけれど嫌なカテゴリーを、俺はカフェラテと一緒に飲み干した。胃が唸って必死に消化を試みている。
多分今の俺は、まったくの他人からチームを見たら、一番オマケみたいな存在だ。それが、何より気に食わなかった。





三人も呼んで大丈夫かという心配は杞憂だった。あまりにも寮を見くびっていた。家から持ってきた折り畳み式のちゃぶ台には、四人分のオムライスとサラダがずらりと並んでいる。料理が済んだばかりで、卵とケチャップのにおいがこもっている。
今にも飛びかかりそうな勢いで、料理の真ん前に座って天翔がソワソワしている。落ち着けよ、とエプロンを解きながら頭をはたいておいた。

「オムライスくらい誰にでも出来るだろ」
「でもほら!ポーンっていうの出来ないじゃん!ポーンってやつ!」
「オムライスはそんな工程ねえよ!」
「あ、あれじゃない?ケチャップライス卵で包む過程」
「あー……コツ掴んだら簡単だよ」
「今度紅輔先生のお料理教室しても良いかもねー。ぼく側で見てたけど結構上手だったよ」

いや、別に俺の料理は普通にやって普通に味付けしてるだけで、そんなこだわりの食卓みたいな雰囲気微塵もないんだけどな。それでもいつにも増してテンションが高まっている天翔と歌雨を見ていると、若干ながらまあいいかと思えてくる。
天翔は歌雨の言葉を聞くと、横にいる撫子に笑いかけた。

「俺と撫子も楽しかったよなー。ほとんどペットショップで遊んでたけど」
「う、ん。でも、あの、すごく楽しくて、時計見たら、いつの間にか六時!ってなって、天翔くんもわたしも、わーって、びっくりしたんだよね」
「本気でぶっ飛んだと思ったからな!撫子怖がってなかなか子犬持てないから俺が手出したらそれにまたビビってさあ、すごかったぜあれ、すげー面白かった」
「お、面白かっ、たかな……」

カラカラと笑う天翔に、撫子は恥ずかしそうにしている。俯いて汗を飛ばしてる感じ。しかし、どうやら二人で行動させたのは大成功だったみたいだ。見るからに和やかになっているし、ペットショップにいる二人は容易に想像出来る。
スプーンとフォークを配って手を合わせる。いただきます、と礼儀正しく頭を下げて、みんな食べ始めた。ちなみに撫子のやつだけ俺達のオムライスより二回りは大きい。地味に作るのに苦労した。

「ふげー!おいひー!」
「食ってから言え食ってから!」
「ん……すげー!おいしー!」
「言い直さなくて良い!!」
「食ってからって言ったの紅輔!」

天翔に純粋な眼差しで反論されるとこれ以上言い様がない!けれど、東京の空の十倍は輝いてるんじゃないかってくらいの目を自分が作ったものに向けられると、さすがに恥ずかしいんだよ。あー俺、今どんな表情になってんだろ……。
正面でもぐもぐしてる歌雨は途中味見されまくって好評だったから別として、問題はもくもくと大盛りを口に運んでる一人だ。サラダは既に空になっている。

「撫子。味は大丈夫か?」

食いながら横目で話を振ると、撫子はこっちに顔を向けて、頬にオムライスを詰めたまま首を縦に何度も振った。頭の重みで落ちるぞ、そのまま首が。しっかり飲み終わった後、あの、と言葉選びが始まる。

「だいじょ、うぶだよ。えっと、ね、オムライスもケチャップがちょうどいいし、おいしいんだけど、あの、サラダもおいしくて、野菜が新鮮で」
「まあ、野菜が新鮮なのは売ってたスーパーのおかげなんだけどな」
「あっ……!えっと、その、か、かかってるドレッシングもおいしかったから」
「ドレッシングは今日買ってきたセール品だけどな」
「う……えっと…………」
「フふっ……ハハハ、でも、うまいのはよーく伝わりました。その調子でまたやる時とかも、どんどん言ってくれよ。言ってくれると何倍も嬉しいからさ、俺」

撫子のおろおろした反応に思わず笑ってしまうと、撫子はきょとんとしてから、俺の顔をじっと見て小さく微笑んだ。……なんだ?

「紅輔くん、が……なんていうのかな。声を出して、笑った、の?わたしね、今初めて聞いたよ」
「あ、確かに」

撫子の嬉しそうな様子に、歌雨が口を挟んできた。食うのに無我夢中だった天翔すらも咀嚼しながら俺を見る。……。俺、さっきまでどういう顔で喋ってた?

「そう、か?……なんか、イマイチ実感来ないんだけど」
「紅輔もチームに馴染んできたってことじゃないの?喜ばしいことですよ」

歌雨がスプーンを振りながら、微笑ましく俺を見ている。その視線はあまり嬉しくない。天翔もそうそう、と言いたげに頷いている。……よく分からないけど、まあ、そういうことにしておいてやろう。何言っても駄目そうだし、この雰囲気。

昼間と同じように相変わらず暖かい雰囲気に包まれる中で、みんなの皿はほぼほぼ空になっていた。時計を気にしたり、真っ暗な外を気にしたり、どことなく、別れを切り出すタイミングを伺っている。そんな空気が流れている。

「紅輔さえ良ければ、またこの、チームハヤブサ食事会!みたいなのやりたいな!」
「また朝から集まって遊んでからってパターンになりそうだね」

俺が空の皿を台所に置いているうちに、天翔と歌雨が締めに入ろうとしている。俺はちゃぶ台の方へ戻ると、自分のスペースに座った。よし、と内心気合を入れる。俺だけが、まだお別れムードじゃない。

「なあ、ちょっと聞いてくれるか?」
「ん?」
「なになに?」

言葉は出さずとも、撫子も振り向く。俺は深く息を吸って、みんなと目を合わせた。……今から俺は、「普通じゃない」提案をしようとしている。もしかしたら、空回りに終わるかもしれない。というかそっちの可能性の方が圧倒的に高い。慎重に、言わなくては。

「……。次のGW明けて、少ししたら実践演習だろ。合同で、初めての」
「そうだね。学院の一年生には、GWをその特訓に使う人も少なくないって聞くよ」
「それで、だ。……みんなさえ良ければ、GWに入る前に、対抗戦を一回申し込んでおきたいって思ってる」
「え」

対抗戦。早い話が、対人戦。チームの年数関係なく組み合わされて、試合が行われる。正式に一年目のチームの申し込みを開始するのは――九月だ。まだ戦いのいろはもろくに教わっていない四月にやるようなことじゃない。現に、三人とも信じられないとでも言いたげな驚いた顔をしている。
それでも、俺にはひとつ、やりたい理由があった。このチームじゃなかったら、こんなことは言い出せなかったと思う。

「確かに、こんなこと無謀だってのは分かってる。俺達はまだ、戦い方も何も知らないんだ。まだ一回も実践授業をしていない。……今週やる、香折先生の授業に向けて、消耗は控えておく方が良いのかもとか、結構考えた。けど俺は、こうも思うんだ。何にも知らない今のうちだからこそ、他の人間と戦って、強さを獲るチャンスだ……って」
「……強さを、獲る……か」

いの一番に反応したのは天翔だった。独り言程度の小さなつぶやきだったから、俺に注目している歌雨と撫子は気付いていない。けれど俺には、分かった。
――「あの目」だ。闘志と言うには尖りすぎている、悪意のない殺意のような、あの目。見るだけで、俺の内蔵が凍えていくような感覚がある。良かった。多分、天翔はやる気だ。
俺は女子二人に向き直った。二人とも真剣な顔をして考え込んでいる。

「誰か一人でも嫌だって言うなら、やめる。人と戦うんだ、強制するようなことじゃないだろ。……だけど、けど、あー、ずるいって言われること承知で言うぜ?チャンスは……今しかない」

実践授業が始まってしまえば、各々戦い方を覚えていってしまう。そうなれば、ある意味、二度と一番吸収出来る時期を逃してしまう、と、俺は思った。
絶対に対抗戦は負けるだろう。成績も悪くなってしまう。……でも、それで得る物はきっと大きい。これは大博打だ。

「……これが最後だ。俺はこのチームだから、この提案をした。今のこのメンバーなら、例え負け戦を挑んだとしても、進んでいけるって、信じてる。ボロクソに負けたって、後のために強くなれるって。……それだけ。俺の話は終わり」

もう言えることはない。しん、とした。誰も何も言わず、俯いている。心臓が気持ち悪い動きをしている。大げさに動いたと思ったら、胸を締め付ける。

「俺、やりたい」

提案した俺よりも、デカい意思の強さと、滾るような熱を秘めていた。天翔の言葉に、歌雨と撫子も顔を上げる。……ああ、やっぱり、天翔がチームハヤブサのリーダーだと実感させられる。みんなを押し出す追い風を起こすのは、天翔だ。

「俺、負けるつもりねーよ。もしかしたら二年目とかに当たるかもしれないし。そしたら勝てるかも。……やりたい。それで強くなれるなら、俺はやりたいっ!」
「……天翔」
「全部取るなら、それくらいしないとな!」

いつもの爽やかな笑みとは違う、闘志に満ちた笑いと言うのか。不敵な笑みという言葉がしっくりと来る。胸を締め付けていた縄か解かれたような感覚。否定されなくて、ほっとした感覚だ。

「そういう言い方、ずるいよね。信頼されているのは嬉しいんだけどさー」

溜息混じりに吐かれた言葉に、心臓が悪い動きをする。歌雨はふーっと息を吐くと、呆れたような視線を俺に向けた。

「でも、将来的に考えると、効率は良いかもしれないよね。……このメンバーじゃなかったら良いなんてとても思えないけど、ぼくも乗っからせてもらうよ」
「歌雨……ありがとう」
「ぼくだって、努力しないで上に上がろうとは考えてないんだから」

良かった。更に、ほっとする。……こうなるのは、正直、半分予想通りだった。残りはあと一人だ。
撫子は浮かない表情をしている。ここでお前もと推すのは、違うだろう。俺は撫子へ身体を向けた。

「撫子。無理すんな。嫌なら嫌って言えば良い」
「ち……違うよ。紅輔くん、それは、本当に違うの。その、嫌じゃない……そういうのじゃないけど、ただ、私…………わたしが……」

膝の上に乗せた手を、撫子はぎゅっと握り締める。肩をいからせて、ぽつりと呟いた。

「……出来るかな……」
「……。撫子。俺が初日に言っただろ」

は、として、揺れていた撫子の瞳がまっすぐに収まった。この目がいつか変わることも、俺は信じている。数週間で何を馬鹿なって言われるかもしれないけれど、こいつは不安を抱えることはあっても、決して否定はしないから。

「『一緒に頑張ろう』。……俺も同じだ。出来るか分かんねえけど、やろう」
「…………うん。一緒に……一緒に、頑張る」

声が震えながらも、撫子は良い返事をしてくれた。気力は充分だ。俺の心境も随分と落ち着いた。

「よし……。そうと決まれば、天翔、明日申し込みに行くぞ」
「おー!急がば回れ……じゃないか、逆だ、善は急げだな!」
「何言い出すのかと思った……俺もついてくわ、言い出しっぺだし」

天翔の明るい笑い声で、張り詰めていた空気が緩んでいく。けれども、本番はここからだ。
思えば、俺は全員の能力の把握すら出来ていなかった。能力の話になった時、何となく聞いてはいたけれど、実際に見たわけじゃない。実践授業の前に、本当に良い機会をもらったかもしれない。
これがどう転ぶかは分からない。俺はただ、誰が来ても、精一杯獲るだけだ。……大丈夫、やれる。信じよう。

チームハヤブサは、強くなってみせる。



☆★



桜はとうに散り、春も終わりを告げようとしている。今朝刷られたばかりのプリントを持ち、肩につかん程度の黒髪を控えめに揺らして、彼女は歩いていた。そのキビキビとした動きから、生真面目な性格が手に取れるようである。頭についているリボンがせめてものかわいらしさだ。
今日はチーム対抗戦演習を除けば、メンバーは特に学院に用事もない。必修単位自体は四人とも既に取っており、実践の成績のみが卒業試験を受ける資格に引っ掛かっている現状だった。とは言っても、彼女と、もう一人だけの話なのだが。メンバーが待っている中庭のベンチに向かいつつ、彼女はプリントにある名前に目を通し、首を捻った。

(一年目か。確か、正式な開始は九月のはずだが……。いや、久しぶりに四人揃った演習であるこちらには、良いハンデとも言えるのか)

中庭に入ると、ベンチに二人の男女が座って談笑をして待っていた。二人を知らない人間からすれば、二人の女性に見えていただろう。中庭に入った女性は、プリントを見せつけながら声をかけた。

「対抗戦の組み合わせが出たぞ。今日は一年目のチームハヤブサだ」
「わざわざありがとうございます」

プリントが男性の白い手に渡る。横に座る少女がひょいと覗き込んで、うわあと声を上げた。

「一年目?こんな四月に?……僕の記憶では、九月からじゃないと申し込めなかったはずですが……」
「やー勇気あるっていうか怖いもの知らずっていうか、どっちにしろヤバくね?アタシら六年目じゃん……ウケるー」

そう言う少女の表情は哀れみすら含んでおり、発言とちくはぐしている。可哀想なものを見る眼差しに、男性は苦笑を漏らした。柔らかい日差しに金髪が優しい反射を返す。

「一年目が相手なら任意で申請したんだろうぜ。……とんだ命知らずだ」

頭上から低く声が響き、男性は首を振り向かせる。ベンチの後ろに植えられた木の枝に、長身が寝そべっていた。腰まで伸びた黒髪が、垂れ下がることなく器用に背に引かれている。葉の間から差し込んだ光が、右頬と左目に刻まれた傷痕を映し出していた。彼の言葉を聞いたベンチの男性は、眉を潜める。

「紫魔。そんな言い方はないだろう。きっとこの方々は、こうなることも分かっていて対抗戦を入れたはずだ」
「ああ、それならよほどの馬鹿か、何かあっての策か……。もしくは解散済みの輩がチームを押し切ったか。今日はそこの見極めから入るぜ。それなら文句はねえだろう?聖璃」

くく、と紫魔が喉を鳴らして笑うと、聖璃は肩を竦めてから、改めてプリントに目を通した。緑色の瞳に、僅かな不安が見える。

「そうだな……。今日は退院して初めての試合だから、本当に初心者だったら加減をしてあげられるかどうか……」

聖璃が小さくつぶやくと、それを耳に入れた黒髪の女性が、冷然としてきっぱりと口を開く。

「むしろ叩きのめすのもひとつの礼儀だろう。ヒカル、油断はするなよ」
「分かってるだーいじょーぶ!演習も雲母とアタシのためだって分かってんだから、そこはちゃんとしてるって!」

いえい、とピースをする余裕すら見せながら、ヒカルはにっこりと笑っている。能天気な様子に雲母は呆れたものの、言葉通りに意味を受け取り、それ以上の追求はしなかった。
ふと、聖璃が布越しに自分の腹をそっと撫でる。それを見た紫魔は半身を起き上がらせ、木から降りると、聖璃の隣にまで歩み寄った。横目で見下ろしながら睨む。

「おい。ここに来て治ってないは笑えねえ冗談だろう」
「いや、傷は大丈夫なんだ。どうしてか、胸騒ぎがして……」
「馬鹿を言え。一年目だろ?さっさと片付けて今日は帰るぞ」
「うん。そうしようか……」

聖璃の指が、チームハヤブサ、と印刷された文字をゆっくりとなぞった。下にはチームメンバーの名前が書かれている。もちろん、聖璃も紫魔も、雲母もヒカルも、知った名前はなかった。それでも何故か感じる予感に、聖璃は深く息を吐く。
ハヤブサとのチーム対抗戦が始まるまで、もう、何時間と言えるほどの余裕はなかった。